大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和61年(ヨ)2241号 決定 1988年1月19日

債権者 秋場清志

<ほか一二名>

右債権者ら訴訟代理人弁護士 芳永克彦

同 内藤隆

債務者 株式会社 書泉

右代表者代表取締役 酒井正敏

右訴訟代理人弁護士 笠原喜四郎

主文

一  債務者は債権者らに対し、昭和六三年二月から昭和六五年一月まで毎月二五日限り別紙認容額一覧表記載の各金員をそれぞれ仮に支払え。

二  債権者らのその余の申請をいずれも却下する。

三  申請費用はこれを二分し、その一を債務者の、その余を債権者らの各負担とする。

理由

第一申立

一  申請の趣旨

債務者は債権者らに対し、昭和六一年四月二五日限り別紙申請額一覧表の乙区記載の各金員を、昭和六一年五月から昭和六二年三月まで毎月二五日限り同表甲区記載の各金員を、昭和六二年四月から本案判決確定まで毎月二五日限り同表丙区記載の各金員を、それぞれ仮に支払え。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  本件申請を却下する。

2  申請費用は債権者らの負担とする。

第二当裁判所の判断

一  被保全権利について

1  債権者らは、

「昭和五五年一一月二六日ストライキを解除するとともに債務者に対し就労の申入れを行ってきたものであるところ、昭和六一年四月一日から同月五日まで就労のため債務者会社の社屋に赴き労務の提供をしたのに、債務者がその受領を拒否したうえ、その後も就労の申入れを続けているにもかかわらず、債務者が今日に至るまで理由なくこれを拒絶しているので、申請の趣旨記載の賃金の仮払いを求める。」と主張するのに対し、

債務者は、

「債権者らは、昭和五三年春闘に端を発して同年一一月二二日から無期限ストに入り、約二年間にわたり会社の存続を危うくするほどの状態に陥れたうえ、昭和五五年一一月二六日に一方的にスト終結宣言をしたといっても、その後昭和六一年三月までの間、九五回にわたり、宣伝カー、のぼり、旗、マイク等をもって多人数の支援者と共に会社のグランデ店頭に押しかけ、社前集会を開いて職場奪還を叫び、威力を示して顧客の入店を妨害するなど営業妨害行為を繰り返してきたもので、かつ右の妨害行為は同年四月以降も継続されており、このような行動から考えると、債権者ら主張の同月一日以降の行動も真に就労の意思に基づいた労務の提供ではなく、再び店内に入って債務者の書籍販売業務を妨害するための戦術転換にすぎないから、債務者においてその就労を拒否するのは当然である。」旨主張するので、まずこの点につき検討するに、民法六二四条によれば、労務者は労務を終わった後でなければ報酬を請求することができないのを原則とするが、他方、労務者が債務の本旨に従った履行の提供をしたにもかかわらずその受領が拒絶された場合には、労働そのものの性質上受領遅滞の観念を容れる余地がなく、右履行の提供とともに履行不能となるべきものであり、そしてその不能が使用者の責に帰すべき事由によるときは、同法五三六条二項により労務者はなお反対給付たる報酬(賃金)請求権を失わないと解すべきである(大審院大正四年七月三一日判決、民事判決録二一輯一三五六頁参照)。

そこで本件において、債権者らによる履行の提供の有無及び債務者側の責に帰すべき事由の存否につき判断するに、本件疎明資料及び審尋の結果によれば、以下の事実が一応認められる。

(1) 債務者は、書籍雑誌の販売等を目的とする会社で、肩書住所地に「書泉グランデ」(以下「グランデ店」という。)を置くほか他に一店舗を開設して書籍等の小売販売業務を行っているものであり、債権者らはいずれも、債務者の従業員の一部で組織された書泉労働者組合(以下単に「組合」という。)の組合員であるところ、組合は、昭和五三年春闘を契機として同年一一月二二日正社員とパートタイマーの平等待遇等を要求して無期限ストライキに入ったが、そのストライキの態様は、ピケストと称し、債務者店舗入口ドアやショウウインドウ、外部に面したガラスに「差別―分断労務政策粉砕!!」等と書いたステッカーを多数貼付したうえ、はち巻、ゼッケン、腕章等をした組合員及び支援労働者らを店舗の全入口に佇立させ、あるいは坐り込ませ、顧客がピケを無視して敢えて店内に入ろうとすると、罵声を浴びせたり、立ちはだかるなどして入店を阻止するもので、そのため組合員の倍を越える従業員(昭和五四年三月当時全従業員一〇〇名前後のうち組合員は二八名)が店内で就労しているのに、入店する顧客はまったくといっていいくらいなかった。このようなピケストの継続により債務者の経営は危機に陥ったので、翌昭和五四年二月二七日以降債務者は、臨時従業員を雇入れるなどして右ピケストを排除し営業を再建した。同年中には、組合及び組合員ら(本件債権者らのうち六名を含む。)は右臨時従業員による暴行・脅迫等を不法行為として債務者に対し総額金一〇二八万〇四七〇円の損害賠償請求の訴(当庁昭和五四年(ワ)第二七三〇号、同第四六四四号事件)を、他方、債務者も右の争議行為により営業上の損害を受けたとして組合及び組合員ら(本件債権者らのうち三名を含む。)に対し金九七七一万一〇〇〇円の損害賠償請求の訴(当庁昭和五四年(ワ)第五三〇八号事件)をそれぞれ提起した。

前者については、昭和五七年六月二八日債務者に合計金五五一万九六七〇円の支払を命ずる仮執行宣言付判決が言渡され、さらに昭和六二年一〇月二二日東京高等裁判所において控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する旨の判決が言渡されたが、後者は未だ第一審において審理中である。

組合は、前記無期限ストライキ突入から約二年を経過した昭和五五年一一月一八日債務者に対し、ようやく右のストライキを同月二六日付で解除し同日より就労する旨通告したが、債務者は右ストライキの終結及び就労の申出を真意によるものとは認められないとしてこれを拒否し続けた。このためその後も組合員ら多数がビラ、旗、マイク等をもって同店前に押しかけ、債務者の右態度に抗議する旨の社前集会を繰り返し、また、これに対応して債務者側も組合員らの右行動を営業妨害行為として抗議や警告を繰り返す等、労使双方の実質的な団体交渉は開かれず、争議は依然継続しているとみられる状態にあった。

(2) しかしながら、債務者が昭和六〇年一〇月一五日付「団体交渉申し入れ書」をもって組合に対し就労に関する団体交渉を申入れたのを機に、これまでの争議状態に変化の兆しがみられ、同年一一月一五日及び同年一二月二三日にようやく団体交渉が開かれるに至った。右交渉において組合側は就労場所、賃金等具体的な就労条件についての協議を求めたが、債務者は、債権者らの職場復帰自体を認めることを基本的態度として表明しながら、復帰後の紛争再発防止のため長期にわたる争議行為の責任問題を組合においてどのように考えるかの回答を求めるとともに、組合員及び支援労働者の就労前の店内立入は一切認めない旨回答した。

組合は、さらに昭和六一年二月七日付の団体交渉申入書において、長期の争議状態の発端となった昭和五三年春夏闘における各係争項目については、債務者が組合員の就労を受け入れることを条件として、債務者からの最終回答に沿って妥結する用意があり、この場合右係争項目をめぐって組合が今後争議行為を実施することはありえない旨、そして遅くとも昭和六一年四月一日から就労したい旨通知したが、債務者はこれに対し、同年三月七日付通告書をもって、「争議解決後就労を認める。」「争議解決とは、組合の述べている回答妥結及び債務者の立替えた保険料の支払い、債務者の提起した前記損害賠償裁判の終結」であり、今後も組合員や支援労働者による争議解決前の店内立入は一切禁止する旨回答し、同年四月からの就労申入れも組合の一方的な提案であるとしてこれを拒否した。

(3) そこで債権者ら組合員は、前記組合の通知に沿って、同年四月一日から五日間にわたり、債務者会社のグランデ店頭に赴き、同店の従業員通用口付近において、債務者の橋本秀昭労務部長に対し就労の申入れを行ったが、同部長は、会社の前記方針に従いいずれも右申入れを受けいれられないとしてその受領を拒絶した。

右就労の申入れとともに、債権者ら組合員は、これに先立つ同年三月九日、一九日、二八日には右グランデ店前において、債務者の前記交渉態度に抗議する旨の集会を開き、マイクや旗を伴いビラ配り等を行ったほか、右就労申入れ後の同年四月一六日にも営業中の同店前において就労拒否に反対する右同様の抗議集会を行ったため、債務者は、これらを重大な営業妨害行為であるとしてその再発を危惧し、重ねて抗議文を発して右就労の申入れに応じなかった。

(4) 一方債権者らは、同年四月一日本件仮処分命令の申請をなし、同申請書及び当裁判所における審尋期日においても就労の意思を明らかにしたほか、右の審理と併行して債務者との自主交渉を重ね、ひき続き就労の申入れをなした(なお、この点に関し、債務者は、同年五月二二日にも債権者らによる営業妨害行為があった旨主張するが、疎明資料によれば、右当日の債権者らの行動は営業妨害にわたらない就労の申入れと認められる。)。そして、第六回審尋期日後の同年一〇月一六日の団体交渉において、債務者は、前記裁判にかかる損害賠償請求権や争議責任の明確化の要求は留保しつつも、右裁判の終結を待たず暫定的に債権者らの職場復帰を認め、その結果具体的な就労条件、就労場所、就労前研修等の問題について更に話合いをつめることで労使双方の確認をみた。その時点で、すくなくとも同年末までには暫定就労についての具体的就労条件の交渉が決着し、翌昭和六二年初には職場復帰が実現するものと客観的に期待される状況であった。そしてその後も当裁判所の審尋期日における和解及び双方の自主交渉が続けられたが、債務者は、卒然として右のストによる損害賠償責任が明確にならなければ具体的な就労条件の話合いに移行することはできないとの主張を蒸し返し、これに対し組合も、債務者が右のストライキ損害賠償責任の明確化を就労の前提として固執するならば、組合側としては昭和五五年一一月二六日付スト解除以降のバック・ペイ債権による相殺を主張せざるを得ないなどと応酬し、昭和六二年に入って以降も、話合いは就労の前提問題に立ち戻って難航した。

(5) 債権者らは、その間も就労の意思を継続して表明しながら現実の就労ができない状態にあったが、当裁判所における第一三回審尋期日の後である昭和六二年七月三〇日の団体交渉において、債務者は、突然債権者ら及び組合に対し、昭和五三年来今日までの多数回にわたる営業妨害行為等に基づき債権者らを懲戒解雇する旨事前通告し、次いで同年八月一〇日付書面で債権者ら全員を正式に解雇する旨通知するに至った。これがため事態は一変し、これまでの就労を前提とした自主交渉は途絶し、本件審尋期日における和解も打切られるに至った。

以上の事実を一応認めることができる。

右認定事実をもとに本件における履行の提供の有無及び責に帰すべき事由の存否につき判断するに、まず第一に、組合は昭和五五年一一月一八日に前記ストライキを解除するとともに同月二六日から就労する旨通告したが、債務者側としては、昭和五三年一一月二二日無期限のピケスト開始後経営の危機に瀕し、昭和五四年二月二七日以降臨時従業員を雇い入れるなどして営業を再建して以来既に一年半以上もの間債権者らを除外した経営組織が現実に機能し、企業の運営上債権者らを必要としない体制が既に恒常化していたとみられるのであるから、復帰時期の見通しも不明なまま長年職場から離れていた債権者らが実際に労務を提供するためには、債権者各人の担当職務など具体的就労条件について労使間交渉が行われることが必要であるというべきであり、したがって、組合がそのような交渉に必要な相当の猶予期間を置くこともなく一方的にスト解除及び就労通告を行ったことをもって、債務の本旨に従った適法な履行の提供と認めることはできない。

しかしながら債権者らは、その後更に約五年を経過した昭和六〇年一〇月一五日債務者より就労に関する団体交渉の申入れがなされたのを契機として、同年一一月以降継続的に口頭で就労の申入れをなし、昭和六一年二月七日付書面で同年四月一日からの就労に向けて交渉を要求し、右同日から五日間にわたり現実に就労場所に赴いて右の申入れを行ったものであって、債権者らの右一連の行為は、その行為態様や前記スト終結後の時間的推移にも照らし、債権者らが職場復帰するための諸条件について協議すべき相当の期間をも考慮したうえでの就労申入れと認めることができるから、これをもって債権者らにおいてなすべき適法な履行の提供があったものというべきである。

そして、労働者が右の如き適法な履行の提供をしたのに対し使用者がその受領を拒絶したときは、労務がその提供とともに履行不能となるべきことは前記のとおりであるが、使用者側の右受領拒絶につきその責に帰すべき事由があるといいうるか否かについては、さらに別途判断する必要がある。本件においては、前認定のとおり債権者らは、右の就労申入れと前後する同年三月及び同年四月中にも依然として債務者会社の営業中の店前で抗議集会を行っており、昭和五三年以来の前認定のとおりの争議の経過に照らして考えると、債務者において、債権者ら組合員による右抗議集会を営業妨害行為を継続する意思の表れとみて、その再発を危惧し、右の如き就労の申入れも真実就労の意思に基づくものと信ずることはできないとしてこれを拒否したことには、無理からぬところがあるというべく、債務者の右就労の拒否をその責に帰すべき事由によるものということはできない。

しかしながら、前認定のとおり、債権者らは昭和六一年四月以降も一貫して就労の申入れをしてきたところ、その後同年一〇月一六日の団体交渉に至って、ストによる損害賠償請求事件の裁判の終結を待たず、その進行と併行して暫定就労につき具体的条件の話合いをつめる旨の労使間確認がなされ、これにより遅くとも同年末までには右暫定就労についての交渉が決着し、翌年初から職場復帰が実現するものと客観的に期待される状況にあったが、にもかかわらず、債務者においてその後右裁判の終結が就労の前提であるとの主張を蒸し返したため、右暫定就労の具体的条件についての話合いが妥結を目前にして再び暗礁に乗り上げるに至ったものである。そして、右の労使間確認がなされる時点においては、債務者において債権者ら組合員による営業妨害行為の再発を憂慮するような状況は既になかったといいうるのであり、また、組合側から提起された前記損害賠償請求裁判の進捗状況と対比すると、債務者が右の如く自己の提起した裁判の終結をもって争議の全面解決のための必要かつ前提条件である旨主張する点も債務者側の心情として理解できないではないが、もっぱら裁判の終結のみを就労拒否の理由とすることはそれ自体合理性を欠くばかりか、右労使間確認後に再び同様の主張を蒸し返すことは、それまでの交渉経過に照らし信義に反する不当な行為であるとの評価を免れない。したがって、右暫定就労により職場復帰が実現するものと客観的に期待される状況にあった昭和六二年一月一日以降も債務者が依然就労を拒否したことには何ら合理的理由はないというべきであり、同時点において債権者らの債務(労務)が債務者の責に帰すべき事由により履行不能となったものと認めるのが相当である。

なお、疎明資料によると、債権者らは、前記労使間確認がなされた後である昭和六二年四月一五日にもグランデ店頭で抗議集会を開いているが、右は債務者が右労使間確認後も就労を拒絶し続けていることに抗議したものと認められるから、右事実をもって債権者らがそれまでの就労の意思を撤回したものということはできず、前記履行の提供の効力に何ら消長を来すものではない。

以上によれば、債権者らは遅くとも昭和六二年一月一日以降の賃金請求権を有するというべきである。

2  次に、債務者は、別紙「解雇理由書」記載のとおりの理由により昭和六二年八月一〇日付で債権者らを懲戒解雇したから、解雇の意思表示到達後の賃金債権は、発生しない旨主張する。

しかしながら、右主張にかかる解雇理由は、そもそも具体的特定性に欠けるうえ、右の解雇通告に至るまでの経緯は前認定のとおりであって、当裁判所における審尋期日における遣り取り及び債権者らと債務者との間の自主交渉を通じて、債権者らの就労に関しその具体的な就労場所や賃金等の条件につき話合いが既に長期にわたって継続されていた中で、突然右の如き理由で解雇の通告をすることは、右交渉の経過に照らし著しく信義に反し権利の濫用として無効というべきである。

また、前認定のとおり債権者らが労務の提供をしている間に右解雇の意思表示がなされた本件において、その解雇の意思表示が無効となるべきときは、民法五三六条二項により債権者らの賃金請求権が失われるものでないことも明らかである。

なお、本件疎明資料によれば、債務者においては債権者らの月額賃金を毎月二五日に支払うものとしていることが一応認められる。

以上により、債権者らの被保全権利である賃金債権の存在が認められるので、すすんでその金額及び保全の必要性につき判断することとする。

二  必要性について

疎明資料によれば、債権者らはいずれも、本件紛争の発端となった昭和五三年当時賃金を唯一の生計の手段とする労働者であったこと、右当時の債権者らの各賃金額は別紙三記載のとおりであり、当時の賃金規定により算出される昭和六一年四月一日以降及び昭和六二年四月一日以降の賃金額は別紙二の甲区、丙区各記載のとおりであることがそれぞれ一応認められる。

そこでまず、債権者らの被保全権利たる賃金請求権が発生したと認められる昭和六二年一月一日から本決定時までに既に支払期の到来した過去の賃金仮払いの必要性について検討するに、債権者らは、前認定のとおり昭和五三年一一月無期限ストライキを開始して以来長期間自ら就労することを拒否し、昭和五五年一一月同ストライキの終結宣言をした後も依然社前集会等を繰り返すのみで具体的な就労に関する団体交渉を行おうとせず、右終結宣言から約五年を経過した昭和六〇年一一月ないし昭和六一年四月にかけて、ようやく前記のとおりの履行の提供をなしたものであるところ、右ストライキ自体の当否はさておき、その開始から現実の労働提供に至るまでの約七年もの長期に及ぶ間に、債権者らにとって真に賃金債権の保全を図る必要があったとすれば、より早い時期に履行の提供及びこれに基づく仮処分の申請等をなしえたはずであって、右の如く賃金債権保全の措置が長期間とられなかったことは、とりもなおさずその間の賃金債権についての保全の必要性も乏しかったものと見られてもやむを得ないというべきである。また、疎明資料によれば、債権者らは昭和五三年に債務者の職場を離脱して以来今日に至るまでそれぞれ臨時のアルバイトによる収入や親族、支援団体等からの援助等によって生計を維持してきたことが認められるところ、少くとも前記ストライキ終結後約五年を経た右履行の提供の時点で賃金債権保全の必要性が特に顕在化したものと認むべき疎明はない。以上のような債権者側にみられる諸事情を考慮すると、今さら過去の賃金について本案裁判の確定を待たず、即時支払いを命じなければならない必要性は認め難いといわざるをえない。

他方、疎明資料によれば、債権者らは右のとおり現在それぞれ他で収入を得ているとはいうものの、総じて債務者から正常に賃金を得ていたときに比して生活水準は低下し、親族、支援者等の援助も限界に近づき、長期の闘争に疲れて債務者の職場への復帰を希求していること、昭和五三年当時二二歳ないし二八歳の年齢層にあった債権者らも既にいずれも三〇歳台となり、家族関係の変動等から家計の必要経費も増加していること等が一応認められ、これらの事情に前記のような本件紛争の経緯を併せ考えると、本決定後の将来の賃金については、毎月別紙認容額一覧表記載の各金額の限度内で保全の必要性を認め、かつ、本決定の後である昭和六三年二月以降平和的交渉による紛争解決に必要な合理的期間と考えられる二年間の限度でその仮払いを命ずることが相当と認める。

第三結論

以上のとおり、本件仮処分申請は、各債権者らについて主文第一項記載の各金員の仮払いを求める限度において理由があるから認容し、その余は失当としていずれも却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 白石悦穂 裁判官 大和陽一郎 納谷肇)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例